セルリアン☆ブルー

スキー&スノーボード2004-2005

海上自衛隊☆護衛艦一般公開☆ in 宮城県仙台港へ行って来ました!

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皆様さま大変ご無沙汰しております!
毎日殺人的暑さが続いていますが、重々気を付けてくださいませ。

管理人は週末連休をとるため連勤しててヘロヘロだったのですが海自一般公開の楽しみを支えに頑張って働きましたよ。
元気いっぱいに海自の一般公開に観に行って来ました~!
胸熱!!

お蔭様でとっても楽しかったです。
機会あったらまた行きます!

というわけで今日はレポートですよ。



管理人が仙台港の海自一般公開へ行ったのは15日の日曜日。
三隻が寄港していました。

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15日に一般公開していたのは「すずなみ」と「うみぎり」でしたよ。

美しい旭日旗の背後に「うみぎり」と「あぶくま」がっ。
しびれますね~!
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もちろん日の丸も。日の丸は美しい。
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艦載ヘリもとてもかっこよかったです。
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現役海自隊員さんの生の敬礼!
かっこいいなぁ。
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ド迫力な艦上。
管理人的には慎ましいくらいですが。護衛艦だからね。
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あと、海自隊員さんが着ている鉄のヘルメットと防弾チョッキを試着してきました!
重かったですよ。
薄く「すずなみ」てプリントしてあってこなれている感が素敵でした!
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もちろん艦内も見学できます。
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シンプルかつミニマムでしたよ。

隊員さんがラッパを吹いていました。
起床ラッパを吹いていたみたい。

管理人はそんなぬるいのは興味ないので、隊員さんに「敵艦発見時のを」とリクエストしてみましたところ快諾して頂きました。

大日本帝国海軍時代の「全員配置に付け」のラッパ。
動画にとらせて頂きましたけど、私の宝物になりました。マジで。

ありがとうございました~!!
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今はレバーひいて鳴らすみたいですよ。
昔も今も本当にお疲れ様です。


楽しかったなぁ。
また行くんだぁっ!

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# by tanaka369 | 2018-07-18 20:08 | 管理人のおでかけ | Trackback | Comments(0)

お勧め記事のご紹介☆現代ビジネス:河合 敦 ”庄内藩が新政府相手に「勝ち続けられた」組織の秘密” ”幕末最強・庄内藩士の強さを支えた「驚きの教育システム」”

すっかり河合敦さんのファンになった管理人です。
グイグイと引き込まれました。
河合さんの庄内藩についての書籍が発売されたら絶対買うぞ(^^♪

是非、皆様も読んでみてください。






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# by tanaka369 | 2018-06-28 20:55 | 日本の事・日本人の歴史 | Trackback | Comments(0)

戦後に起こった日本人への虐殺~共産国に対して武装解除したらどういう事になるか、歴史が教えてくれます~

FBで拝読させて頂きました記事をコピペ。
長めですが是非。
皆様とも共有させて頂きたいと思います。

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斎藤宏幸


昭和20年8月15日、終戦。日本軍が、無条件降伏して武装解除したので、アジア諸国では平和が実現したと教えられています。

しかし、実際は、この終戦記念日以降もアジア各地で日本人が大虐殺されていきました。

昭和20年8月20日、北朝鮮の国境近くの満州の通化という町にある、通化高等女学校にソ連兵が乱入。女子生徒を連行しようとしたので、女性教師が身代わりとなって連行されていきました。

翌日、その女性教師は戻されましたが、複数のソ連兵に強姦(レイプ)され輪姦されてしまったので、辱めを受けた精神的苦痛のために自殺してしまいました。

8月24日、ソ連将校20名と兵隊200名が通化市に進駐。
中国共産党軍(八路軍)も同市に駐留するようになりました。

ソ連兵と中共軍兵士のほとんどは、武装解除した関東軍(日本陸軍)の銃や軍靴を身につけており、武器弾薬なども大量に関東軍から接収していました。

通化市はソ連軍と、中国共産党軍(八路軍)の管理下に置かれました。

ある日、真昼間からソ連兵が日本人女性を強姦(レイプ)していました。しかも人通りのある路上でです。

通報を受けた原准尉は、慌てて現場に駆けつけて、ソ連兵にやめるように注意したのですが、ソ連兵はその忠告を無視して強姦を続けていました。

原准尉は、止むを得ず手に持っていた日本刀で、ソ連兵を殺害。その後、駆けつけてきたソ連兵によって原准尉は射殺されてしまいました。

当初、ソ連軍は、日本兵が所有していた日本刀を、飾り程度にしか思っていなかったのですが、この事件以降、殺傷能力のある武器として認識したので、全ての日本刀を没収していきました。

すでに、日本軍は武装解除を行なっていたので、武器弾薬を所持していなかったのですが、日本刀まで没収されてしまったので、日本兵は丸裸となってしまいました。

ソ連兵は、日本女性に対する強姦(レイプ)を、昼夜問わず人目を気にせず、頻繁に行っていました。

そのため、日本女性は、頭を丸坊主にしたりして女性と気づかれないように身を守り、外出は避けていました。

ソ連兵は、日本人居留民に対し、若い素人女性を提供するように要求してきました。

ソ連軍の要求を断ると他の日本人が殺されてしまうため、従うしかありません。

居留民会で話し合い、仕方なく料亭で働いている女性を差し出すことにしました。

生贄とされてしまったのですが、ソ連軍に逆らうこともできず、まさに苦渋の選択でした。

昭和20年10月23日、ソ連軍が通化市から撤収した後、入れ替わりに中共軍が通化市に進駐してきました。

当時、満州国をソ連軍が侵略した後、中共軍にその主権を明け渡すという密約が、スターリンと毛沢東の間であったため、満州国の各都市でこのような軍隊の入れ替えが行われていきました。

そして、劉西元(りゅう せいげん)(劉東元)も着任。

中共軍は、日本軍の脱走兵狩りを行い600人を検挙した後吉林へ連行しました。

中共軍は、遼東日本人民解放連盟の通化支部(日解連)を設立して、共産党への思想教育を実地していきました。

その時に使われた教材は、共産党員の野坂参三が書いた本でした。

17、000名いた通化市内の日本人居留民たちは、全ての財産を没収されてしまい、さらに、中国共産党へ忠誠を誓うことを誓約させられました。

昭和20年11月17日、中共軍は、元満鉄総裁という理由で大村卓一を逮捕。

昭和20年12月23日、日本人民解放連盟(日解連)主催の日本人居留民大会が開催されました。

その大会では、藤田実彦大佐を含む日本居留民3000人が参加。

「中国共産党万歳。日本天皇制打倒。民族解放戦線統一」を目標に掲げました。

日解連の通化支部の幹部たちは、日本がこれまで大陸で行なってきたことを謝罪して、「我々が生きていられるのは中国共産党軍のお陰である」と発言。

完全に洗脳(マインドコントロール)されてしまいました。

これは「思想改造」と言われる洗脳(マインドコントロール)を受けたためです。

「思想改造」とはどのようなものでしょうか?

昭和15年(1940年)、日本兵士反戦同盟(のちの日本人民解放連盟)が延安に設置されました。

延安は、毛沢東率いる中共が滞在していた拠点でした。

「日本労農学校」や「第二学校」などの捕虜収容所において野坂参三が校長を務めました。

日本労農学校では、集団でお互いに相手の自己批判を徹底的に繰り返させ、それまで積み上げてきた自尊心や価値観などを、木っ端微塵に打ち砕くことにしました。

この方法は、それまで深く染み付いた古い思考を破壊し、新しい生活様式を受け入れるのに役立つと考えられました。

疲労と自己批判で意識がモウロウとしてきたところに、何度も何度も自分自身の言葉で、政治的教義(マルクス・レーニン主義)を反復させるという思想改造をしていきました。

捕虜となった日本兵たちにとって、共産主義者になることだけが、過去を絶ち切って、罪深い過去の記憶から自らを解脱させる唯一つの方法だったのです。

解脱とは、しがらみから解放するということです。人間誰でも色々なしがらみを持っていきています。そのしがらみから解放することができれば、幸せで生き生きと生きることができると、仏教では説明します。

そこでは、みんなで共産主義者になって、毛沢東を同志と呼び、中共軍を解放軍と賞讃して、そのもとに働く彼ら自身を、解放の戦士と呼称することによって、自分自身を肯定する居場所をつくりました。

日本労農学校での日本兵捕虜の思想改造は、見事に成功していきました。

捕虜の中で次のように話す人が出てきました。
「周恩来総理は、私の人生になくてはならない指導者である」とか、

「中国共産党と八路軍は私に第二の命を与えてくれた。それは私に、正しい人として生きる目的と意義を教えてくれた」
と。

このような「覚醒した」日本兵たちは、新たな日本兵を捕虜とすることに利用されていきました。

昭和19年(1944年)3月4日、日向勝・砲兵中尉をはじめとする48人が八路軍の捕虜になりました。そのうち30人が日本人民解放連盟(日解連)に参加しました。

日向勝は、砲兵教官として新四軍(八路軍)に止まり、砲兵部隊を育成し、第三野戦軍砲兵連隊の作戦参謀や大隊長などの要職を歴任。

中国の国共内戦で、淮海戦役、渡江戦役などの国民党軍との戦いに参加して、大活躍して連戦連勝。中共軍の勝利に大きく貢献しました。

昭和20年12月23日、通化市で行われた日本人居留民大会に話を戻します。

日本人居留民たちは、日解連への非難や明治天皇の御製を読み上げ「日本は元来民主主義である」と訴え、山口嘉一郎老人は、日本共産党の野坂参三が行なった天皇批判を、万死に値すると激しく非難しました。

山口嘉一郎老人は、「宮城(皇居)に遥拝し、天皇陛下万歳三唱をさせていただきたい」と提案すると、会場から大きな拍手が沸き起こり、全員起立して宮城(皇居)に向かって遙拝と、天皇陛下万歳三唱が行われました。

そして山口嘉一郎老人は、「我々は天皇陛下を中心とした国体で教育され来たので、いきなり180度変えた生き方にはなれませんので、徐々に教育をお願いしたい」と述べました。

翌日、中共軍は、山口嘉一郎老人や大会で発言した者を連行し処刑しました。

昭和21年1月10日、中共軍の工作員である内海薫を殺害した容疑で、中共軍は、日解連の幹部や旧満洲国の高級官吏・日本人居留民会の指導者ら140名を強制連行。
(1月10日事件)

菅原達郎通化省次長、河内亮通化県副県長、川瀬警務庁長、林通化市副市長の4名は、中共軍によって市中引き回しの上で、渾江の河原で公開処刑されてしまいました。

処刑された遺体は何度も撃たれ銃剣で突き刺されて、ハチの巣にされてしまいました。

昭和21年2月3日、このような中共軍による蛮行に耐えられなくなった在留日本人たちは、ついに決起。

重慶を拠点とする中華民国軍(蒋介石軍)と、林航空隊と戦車隊の支援を期待して、元日本軍(関東軍)将校などの指揮下で蜂起しました。総勢1000名でした。

しかし、日本人が手にした武器は、こん棒やスコップなどしかありませんでした。

それまで、シナ兵やソ連兵に、全ての財産を没収されていたので、武器と呼べるものをほとんど持っていなかったのです。

頼みの蒋介石軍の援軍もなく、また、この情報を事前に入手していたシナ兵により、林航空隊は拘束されてしまい、わずか数時間で制圧されてしまいました。

嵯峨家(華族)の長女であり、満州国皇帝溥儀(ふぎ)の弟、溥傑(ふけつ)に嫁いだ嵯峨浩(さが ひろ)と、次女の嫮生(こしょう)、溥儀(ふぎ)の皇后である婉容(えんよう)は、通化市内の八路軍の公安局に拘束されていました。

2月3日の夜、日本兵が八路軍の公安局にやってきて「今夜憲兵が救出に参るはずです。皇后様(婉容)とご一緒にお待ちください」と嵯峨浩(さが ひろ)に言いました。

そして、八路軍(中共軍)と銃撃戦を始めたのですが、計画を事前に察知していた八路軍は、日本兵を一旦公安局の中に入れて外から包囲する作戦でした。

溥傑(ふけつ)の妻、嵯峨浩(さが ひろ)と溥儀(ふぎ)の皇后、婉容(えんよう)を救出に行ったはずの日本兵でしたが、中共軍の餌食となってしまいました。

嵯峨浩(さが ひろ)たちはじっとして身を伏せていましたが、老乳母の王焦に砲弾の破片が命中し、右の手首が吹き飛ばされました。

老乳母の王焦は「痛い痛い」と泣きながら血だらけの手で顔を触り、顔が血だらけになりました。

この老乳母の王焦の吹き飛ばされた手首は、嵯峨浩(さが ひろ)の次女の嫮生(こしょう)のところに飛んできていました。

嫮生(こしょう)は、「忘れようとしても、血まみれの手首だけは記憶に残っています」とのちに回想しています。

事件後、嵯峨浩(さが ひろ)たちは、長春(新京)、吉林、延吉、佳木斯、北京、上海と次々に身柄を移され、昭和22年(1947年)1月に日本に帰国しました。(「流転の王妃」)

「日本人の男は全員外に出ろ!」。

16歳以上60歳までの日本人男性は、事件との関係を問わず全員、中共軍(八路軍)の兵舎の前に集合せよ、と命令が出されました。

そして、中共軍(八路軍)の将校が絶叫するように叫びました。

「今朝、日本人を主とした反乱軍のために、わが軍は多大の犠牲を受けた。諸君は同胞として、その罪を免れることはできない。わが軍は報復として、ただちに諸君を銃殺に処する」と。

次の瞬間、兵舎の窓越しに待機していた機関銃を持った兵士たちから機銃掃射を受けて、集められた日本人全員が虐殺されてしまいました。

重傷を負って死にきれない者に対しては、容赦なくピストルが撃ち込まれました。

虐殺された遺体は、待機していたトラックに次々と積み込まれ、一部は渾江の橋の上から凍結した川面に投げ捨てられ、一部は近くの谷間に投げ込まれました。

昭和21年2月3日の朝、設楽三郎さんは、土足で踏み込んできた中共軍の兵隊に強制連行されました。

抵抗する様子を見せた日本人はその場で銃殺されていきました。
(日本経済新聞2016年2月3日)

逮捕拘引された日本人は、およそ三千人に及び連行されました。事件に関与したとみなされた女性も連行されました。

中共軍の八路軍と、金雄を隊長とする朝鮮義勇軍(中共軍の朝鮮人部隊)の第一支隊は、連行する際、日本人を一人一人首を針金でつなぎ合わせて連行しました。

寝間着、素足に下駄履の者や病人までもが、マイナス20度になる外を数珠繋ぎで行進させられました。

3000人以上に上る拘束者は小銃で殴りつけられるなどして、建物の各部屋に押し込まれました。

8畳ほどの部屋に120人が強引に押し込められ、あまりの狭さに身動きが一切とれず、大小便垂れ流しのまま5日間立ったままの状態にされました。

抑留中は酸欠で「口をパクパクしている人達」や、精神に異常をきたし声を出すものなどが続出したが、そのたびに窓の外から朝鮮義勇軍の兵士たちにより銃撃され、窓際の人間が殺害されました。

設楽三郎さんは、当時を次のように振り返ります。

長屋の10畳程度の部屋に、100人以上が押し込まれた。「外は酷寒なのに、中はサウナのように蒸し暑くて不快だった」と。(日本経済新聞2016年2月3日)

夜、殺気だった室内で小さな言い争いが起きると、見張りの兵が窓から発砲した。

静まりかえった室内に撃たれた男性のうめき声が響き、「生きた心地がしなかった」。(日本経済新聞2016年2月3日)

殺害された者は立ったままの姿勢で放置されるか、他の抑留者の足元で踏み板とされました。足元が血の海になったが死体を外に出すこともできませんでした。

拘束から5日後に部屋から引き出されると、朝鮮義勇軍の兵士たちから、(日韓併合から)36年の恨みと言って棍棒で殴りつけられ、多くが撲殺されました。

撲殺を免れた者の多くは手足を折られるなどし、八路軍と朝鮮義勇軍の兵士による拷問と尋問が行われました。

そのとき態度が悪かったり、言葉に詰まったりすると、こん棒や革のムチで容赦なく、力いっぱい打ちのめされた。

その場で悲鳴をあげて倒れる者、全身を殴りつけられて意識を失い、ついに動けなくなった者も少なくなかった。

そうすると、そのまま戸外に放り出されてしまう。

外は酷寒の2月。放り出された人は、たちまち寒気のために不動のまま凍死してしまいました。そして、まるで材木のようにトラックに積みこまれて、谷間に投げ捨てられていきました。

すると、どこからか貧民が集まってきて、硬直した死体から着衣をはぎとってゆきました。

全裸の死体は、荷物のように運ばれて、渾江の橋の上から投げ捨てられていきました。これが毎日のように行われました。

生き残った者は、凍結した渾江(鴨緑江の支流)の川岸に一人ずつ並べられ、次々に銃殺されていきました。

約3000人に上る日本人たちが、八路軍と朝鮮義勇軍によって残酷なやり方で虐殺されていったのです。

昭和21年3月10日、通化市内の百貨店で、2・3事件の展示会が行われました。

その展示会では、日本人からの戦利品と共に、孫耕暁(通化国民党部書記長)と藤田実彦大佐が、見せしめとして3日間立ったままの状態でさらし者にされました。

孫耕暁(そん・こうぎょう)は、中華民国政府(蒋介石)の通化市での指導者だったので、中共軍からさらし者にされ他のちに銃殺。

また、藤田実彦(ふじたさねひこ)大佐は、この事件の首謀者とされたため、さらし者にされました。

藤田実彦大佐は、痩せてやつれた体に中国服をまとい、始終鼻水を垂らしながら「許してください。自分の不始末によって申し訳ないことをしてしまいました」と謝り続けました。

昭和21年3月15日、藤田少佐が死亡(享年45歳)すると、遺体は市内の広場で3週間さらされました。

この2・3事件は、日本が武装解除した後に起きた中共軍による大虐殺であります。

通化大虐殺の総指揮をした劉西元(りゅう せいげん)は、中国共産党の建国の英雄として教えられています。

共産国に対して武装解除したらどういう事になるか、歴史が教えてくれます。





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# by tanaka369 | 2018-06-14 14:30 | 日本の事・日本人の歴史 | Trackback | Comments(0)

桜井党首とスリーショット

6月3日に開催されました日本第一党宮城県本部主催の講演会に行ってきました~!
今回はタロさと。
タロさもとても楽しみにしていてお誘いした甲斐があるというもの。
タロさのように党員ではない一般の方々も多くいらっしゃったようです。

お写真は桜井党首とのスリーショットですよ。
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タロさは顔出しNGなので濃霧が(笑)
ついでに私も~。

宮城県本部の方々とは顔なじみなのでお忙しい隙を見計らってご挨拶したり、党首にはタロさの都合で第一部までしか参加できない旨をお伝えし休憩時間にスリーショットをお願い致しましたよ。
にこやかに快諾してくださいました。

管理人は名ばかりの党員だから全然役に立ってないけど、やはり協力できるところは協力したいところです。
日本や日本人の10年先、50年先、100年先を考えると色々考えるところがありますからね。

日本には一応、言論の自由・思想の自由があります。
それらを謳歌している管理人でした~(^^♪


【日本第一党の公式サイト】




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# by tanaka369 | 2018-06-07 18:05 | 日本第一党 | Trackback | Comments(0)

【祝】 セルリアン☆ブルー 10周年!!

そういえば、2018年5月で10年目やんけ!
とふと気付いた管理人でした。
10年も続いたんだなぁ……

この10年間、様々な変化がありました。
10年前は人生の舵を大きく変えていった初期段階の頃でした。

もちろん良いことばかりでなくて、恥ずかしい思いをしたり悲しい事もあったり。
出会いと別れ・別れと出会いがありました。
全てが今の私の糧になっています。

今後もエキサイトブログは続けていく予定です!

今じゃFacebookやTwitter、Instagramにも手を出しちゃったけども、ブログにはブログの良さがあります。
こうしてダラダラと思いのうちを書いたりできるところもそう。
この10年間を眺めるツールにもなりそうですね。
当ブログはやっぱり私のホーム!

なお、SNSは使い分けをしています。

・Facebookは主に個々との情報受信発信。
 及び特定の方々と繋がる為のツール。
・Twitterは情報受信ならびに拡散ツール。
 当ブログ訪問者様にも公開中なだけあってメインで使用。
 Twitterで拡散された情報が一番早いような気がします。
 Facebookだと約一日遅い。
・Instagramは完全に遊び用ツール。
 自衛隊や特定の人達が投稿した綺麗な写真を眺めて楽しむ為だけのもの。

SNSでの情報受信はあくまで触りだから、それをきっかけにして掘り下げていってます。

当ブログももっと充実させていかなきゃなぁ……
ご訪問してくださっている方々には本当に申し訳ありません。

とりあえず今夜は祝杯じゃ。
良くもまぁ10年続けたね的なぬる~い祝杯ですがっ(^^♪
今後とも宜しくお願い致します。
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# by tanaka369 | 2018-05-29 22:20 | その他 | Trackback | Comments(0)

今日は何の日? 尼港事件(にこうじけん) ~「ねずさんのひとりごと」より~

本日24日、大正9年に凄惨な虐殺事件が起こりました。
私達のご先祖様たちも殺されてしまった凄惨な虐殺事件です。
小名木善行先生のブログからのコピペです。

リンク先↓↓↓



==以下コピペ==

毎年この日あるいはその前後に、尼港事件(にこうじけん)のことを書いています。
尼港事件とは、大正9(1929)年1月から5月にかけて、黒竜江(アムール川)の河口にある尼港(ニコラエフスク)で、約4300人の共産主義パルチザンが引き起こした大規模な住民虐殺事件です。
期間に幅があるのに、なぜこの日にアップしているかというと、下の写真があるからです。
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「大正9年5月24日午後12時を忘れるな」と壁に鉛筆で書いてある写真です。
この日、やっと日本の援軍が尼港に到着しました。
しかし獄舎にいたこの字を記した日本人は、日本軍の到着前に、逃げ出そうとする共産パルチザンによって殺されています。

さて、尼港と聞いても、今の人はあまり馴染みがないかもしれません。
樺太の北端はユーラシア大陸に隣接していますが、そのユーラシア大陸側には黒竜江(別名アムール川)が注いでいます。
そのアムール川を40kmほどさかのぼったところにある港町が、尼港です。
いまそこはロシア領のニコラエフスク市と呼ばれています。
漢字では、昔も今も尼港と表記されます。

明治のはじめ頃、その尼港は、夏場だけ人口が2000人ほどになる小さな寒村でした。
主な産業は鮭漁(しゃけりょう)です。
冬は川も海も凍りつくので、人はいません。

そこに海産物を求めて日本人が入植するようになったのが明治の中頃のことです。
日本人の入植によって、尼港の鮭(しゃけ)は、日本に輸出されるようになり、町の人口が増え始めました。

情況が変化したのは、第一次世界大戦です。
ロシアは戦争によって極度の食糧不足となり、尼港の海産物の需要が高まったのです。
この結果、尼港における日本人経営の海産物会社(島田商会)が大きく発展し、物流のために日本人やユダヤ系ロシア人などが尼港に移り住むようになりました。
とりわけ日本の天草から水商売の女性たちが入植するようになると、富と娯楽を求めて人口が急増し、人々は冬場も尼港で過ごすようになり、市内には学校や図書館、公民館、映画館なども建ち並び、大正時代頃には人口1万2000人の町としてを越える町に育って行ったのです。

その尼港を4300人という大集団の共産パルチザンが取り囲んだのが大正9年(1929)年3月のことでした。
3月といえば、まだ尼港は雪と氷に閉ざされています。
そして奸計を用いて市内に入り込んだパルチザンたちは、まずロシア系の人々を片端から殺し、ついには日本人までをも殺害するに至りました。

このとき尼港で殺された人の数は、なんと6,000人に及びます。
これは町の人口の半分にあたる数でした。

この蛮行をはたらいた共産パルチザンは、内訳が、
 Russian 約3000人、
 Korean  約1000人、
 Chinese  約300人
です。
構成から見ても、どのような事態が起こるのか、察することができるかと思います。

一方、尼港の町の側の人口は次のとおりでした。
 日本人   約    700名
 白系Russian約 1万5000名
 Chinese  約   1000名
 Korean   約    500名

このうち日本人700名というのは、日本陸軍の2個歩兵中隊の約260名を含みます。
その他の日本人440名は軍属と婦女子です。

少し説明を補足します。
なぜ尼港のような辺鄙(へんぴ)なところに日本軍がいたかという理由です。

実は大正6年(1917)に、帝政ロシアでレーニンに指揮された「ロシア革命」が起こりました。
ロシア革命というと、なにやらただちにソビエト連邦共和国が成立したかのように錯覚する人が多いのですが、なるほどこの年にレーニンがロシア皇帝を倒して政権を奪ったものの、世界の諸国はそんな乱暴なレーニン政権など、どの国も認めなかったのです。
むしろ過激派のテロによる蛮行として警戒していました。

なにしろ当時のロシア共産主義者たちは、ロシア各地で無秩序と破壊と殺戮をもたらしていたのです。
とりわけ多数の囚人が送られていたシベリアでは、凶悪犯罪者らが牢から出されて、ロシア共産党から武器と資金を受け取り、これにChinese、Koreanのヤクザ者たちが合流して暴れまわっていました。

ちなみにパルチザン(Partisan、Partizan)という語は、もともとイタリア語の「partigiano」からきたフランス語で、土地の住民のなかから立ちあがって武器をとって戦う人たちを意味します。
その中でも、特に遊撃隊や別働隊のようなものを、正規軍の本体とは分けて、特にパルチザンという名で呼びます。
つまり正規の軍隊がやってくる前に、地域を混乱に陥れたり破壊活動を展開したりする遊撃隊です。

日本人の多くがここを誤解しやすいのですが、大陸では軍とヤクザと暴徒は同じものです。
ですから極端な話、先般Chinaで反日デモが行われ、そのデモ隊の人たちをおそらく軍隊と認識する人は日本人にはほとんどいないと思うのですが、大陸的考え方では、あれも軍の一部なのです。
要するにパルチザンというのは、いまふうに言えば、武装したテロリスト集団です。

キチ◯イに刃物といいますが、それどころかキチ◯イに銃です。
そのような暴徒たちに武器と資金を支給して暴れ回らせて、国家の秩序を破壊させ、人々の間に現政権に対する怨嗟の声を満ちさせる。
その上で、それら武装パルチザンを追い払った英雄としての正規軍がやってくる、という筋書きです。
実際には、その正規軍に、それら武装パルチザンが取り込まれて合体しているだけなのですが、世間に向けてはそのように仕向けるのです。

そして相次ぐ殺戮と虐殺によって、その地の財産関係をめちゃめちゃに破壊します。
つまり土地の所有者も、工場も、インフラ設備も、すべてそのオーナーにあたる人が殺されていない状況をつくりあげるわけです。
そのうえで、それらインフラ財産を、新政府の要人たちが摂取して自分の財産にする。
たとえば那覇や札幌の土地や建物の所有者や利用者を皆殺しにして、その後釜に座るわけです。
これが世にいう、共産主義革命です。
いまも日本に、左翼革命政権を望む者過激派がいますが、彼らの望む未来とは、そういうものだということを、私たちはしっかり学ぶ必要があると思います。

誤解のないようにはっきりと書いておきたいと思うのですが、我が国では軍隊というのは、はるか古代から「たける」ための存在とされてきました。
天皇という存在があり、民こそが「おほみたから」とされる我が国では、軍はその「おほみたから」が豊かに安全に安心して暮らすために、正道にただすことを目的とする存在です。
かつての衛士や防人もそうですし、武士もまた同じです。
世の歪みを竹のようにまっすぐに正す存在だから、武(たける)を行う健児(たけるもの)とされてきたのです。
ですから日本における武装した軍隊は、どこまでも世の混沌をおさめ、まっすぐに秩序を立てる。
その自覚が、個々の兵にも、また軍を率いる将官にも、政治にも、そしてなにより民意にも等しくあるから日本の武人軍人は立派なのです。
歴史が違うのです。

このようなことを書きますと、「そんなことはない。近衛兵のように立派な軍隊も諸国にあったではないか」という人もおいでのことと思います。
これもまた誤解です。
なるほど近衛兵は、どこの国でも、ひとめでそれとわかる立派な服装をしていました。

しかし彼らは王の周囲にいる貴族の跡取り息子たちです。
貴族を外地に出征させるときの人質として王の側に置かれていたのです。
服装が立派だからと、そこだけに目を奪われてはいけません。
外地にいる貴族の親が裏切れば、即刻処刑されたのです。

我が国でも明治以降、近衛隊が編成されましたが、それは家門を問うものではなく、本人の希望を優先して編成しています。
国の成り立ちが、軍の意味あいまで大きく変化させているのです。

さて、ロシア共産党から資金と武器の援助を得た共産パルチザンは、シベリア各地で地域を荒らし回り、またたく間に巨大な組織となっていきました。
そして各地で虐殺を繰り広げ、ロシアの秩序を破壊していきました。

この頃、シベリア方面を統括していたのが、保守派のロシア極東総督のロザノフ中将や、コルチャック提督などです。
彼らはロシア帝国の正規軍を指揮し、パルチザンたちと戦っていました。
すでに本国のロシア王朝は倒れています。
つまり彼らシベリアの正規軍には、中央からの補給がすでに途絶えていました。

このままでは秩序が崩壊する。多くの血が流れる。
そこで日英米の三国が、シベリアのロシア正規軍支援を目的として、大正7(1918)年8月に、シベリアに共同出兵しています。
つまり日本の派兵は、この三国の共同活動だったのです。

ところが翌年になると、シベリア・オムスクにあったロシアの総督府が、パルチザンの攻撃によって倒されてしまいます。
ロシア総督府あればこそのシベリア出兵なのです。
身の危険を感じた米英両国は、さっさとシベリアから撤兵してしまいました。

ところが日本は、ロシアと国境を接しているし、シベリアにもたくさんの邦人がいるのです。
パルチザンが南下してくれば、シベリアの日本人が危険だし、さらに南下して当時日本だった樺太や、日本が強い影響力を持っていた満州に、あるいは北海道にまで、その無法者たちが進出してきたら、たいへんなことになります。

そこでやむなく日本は、シベリアに兵を留めました。
しかし留めたといっても、第12師団(約1万5000名)だけの派遣です。
広大なシベリアに、1万5000名は焼け石に水です。
師団は諸所に分散し、その結果、ニコラエフスクには、2個中隊260名しか駐屯できなかったのです。

そこにパルチザンがやってきたのが、大正9(1920)年1月29日のことでした。
ちなみにシベリアの1月といえば、まさに極寒の季節です。
かつて日本の軍人さんたちがシベリアに抑留されたとき、とにもかくにも寒くて寒くて、とても人が住めるところではないと実感したといいますが、それよりももっと北に住むロシア人たちにしてみれば、尼港は、魚も採れるし、暖かで住みよい土地なのです。
このあたりの人の感覚の違いは、推して知るべしです。

尼港を守備していたのは、石川少佐率いる2個中隊(約260名)と、無線電信隊の40名、それと保守派のロシア兵(共産赤軍に対して白衛軍と呼ばれていたロシア兵)の合計約350名でした。
つまり尼港は、街の守備隊の10倍以上もの暴徒が、街を取り囲んだわけです。

パルチザンたちは街を包囲すると、
「自分たちに敵意はない、
 食料の補給に協力してほしいだけだ」
と使いを立ててきました。

馬鹿な話ですが、そんな言い分を真に受けたニコラエフスク市は、パルチザンたちが市内に入ることを認めました。
すると市内に入るやいなや、パルチザンたちはロシア白衛軍の将兵350名を急襲して、これを全員殺してしまったのです。

武装した軍さえ排除すれば、あとはやり放題です。
パルチザンたちは、一般市民(ロシア人、ユダヤ人)を虐殺し、家内の家財、財宝を奪い、婦女子は暴行して殺害しました。

男達は銃剣で突き刺して黒龍江の結氷を破ってつくった穴から、凍る流れに放り込みました。
女たちは強姦の上、同じく穴から裸のまま凍る川に放り込んでいます。
こうしてたった一晩で、ロシア人とユダヤ人約2500人が殺されました。

翌朝、事実を知った石田副領事が、この暴虐行為に対して「厳重抗議」を行ないました。
けれど、共産パルチザンは聞く耳を持ちません。
当たり前です。抗議を受け入れるくらいなら最初から虐殺などしていないのです。
そしてパルチザンたちは、逆に日本側に武装解除を要求してきました。

ここは大事なところです。
いまでも外国や外国人の非道に対して、「話し合って解決する」あるいは「遺憾の意を表する」などととぼけたことを言う評論家のセンセイがいます。
しかし現実を見てもらいたいと思うのです。

つい前日に、白人たちが虐殺されているのです。
日本兵が武装解除したら、そのあと日本人が何をされるのか。
それこそ火を見るより明らかです。

現地の日本軍は、日本の内地の本部に急を知らせる電文を打ちました。
けれど日本からの援軍は、小樽から発進するのだけれど、真冬の寒い時期であるために、海面が凍結してすぐには動けません。
満州方面にいる他の部隊も、徒歩移動となるため、いちばん近い部隊でさえ、到着するのに40日かかる。

ニコラエフスクから日本人、ならびに日本軍駐屯隊が脱出しようにも、周囲は凍土です。
しかも街自体が、共産パルチザンによって、蟻の這い出る隙もないほど包囲されていたのです。
つまりニコラエフスクの駐留部隊は、極寒のシベリアで、完全に孤立していたのです。

座して死を待つくらいなら、勇敢に戦って死のう。
白人たちの惨殺を目の当たりにしていた日本人部隊は、義勇隊を募りました。
そして3月12日、日本軍110名で武装パルチザンの本拠を急襲したのです。

敵は、武装した4000人の大部隊です。
衆寡敵せず。
駐留部隊指揮官石川少佐以下多数がまたたくまに戦死してしまいます。

このとき、義勇隊に参加しなかった軍人、軍属と女子供達600名は、義勇隊の奮戦の最中に、日本領事館に退避することになっていました。
けれども領事館に集まることができたのは、わずか250名だけでした。
逃げ遅れた人達は、武装した共産パルチザンの手にかかってしまったのです。

後日の調査記録によると、共産パルチザンたちは、この日、日本人の子供を見つけると2人で手足を持って石壁に叩きつけて殺し、女と見れば老若問わず強姦し、おもしろ半分に、両足を2頭の馬に結びつけて股を引き裂いて殺しています。
こうしてまたたく間に、義勇隊110名、逃遅れた日本人約240名が犠牲となりました。

日本領事館では、襲ってくる共産パルチザンたちと、激しい戦闘が繰り広げられました。
戦闘はまる一昼夜続きました。
実際に傭兵として世界の戦場を点々とした経験を持つ方から聞いた話ですが、一般に、銃撃戦というのは、ほんの数分で決着がつくものなのだそうです。
銃撃戦が10分も続いたら、「今日の戦闘はむちゃくちゃ長かったねえ」などと、後々まで話題になるくらいです。
それだけ銃撃戦というのは、戦闘員たちにものすごい集中力と緊張を強いるものなのです。
ところが尼港の日本領事館では、まる一昼夜、銃撃戦が続いたのです。
立てこもる日本人兵士たちの緊張感、後方で震えていた日本人婦女子たちの恐怖は、想像するにあまりあります。

一昼夜が経ち、朝日が射す頃、領事館内の生存者は、わずか28名になっていました。
弾薬も底をつきてしまいました。
残った一同は、まず子供を殺し、石田副領事、三宅海軍少佐以下全員が自決しました。

こうして尼港に残る日本人は、河本中尉率いる別働隊と領事館に避難しないで、かつ生き残っていた民間人121名だけになりました。
抵抗を続ける日本軍強しとみた共産パルチザンは、策を弄しました。
「山田旅団長の停戦命令」を偽造したのです。

河本中尉は、これは「怪しい」と思ったそうです。
けれどもしも停戦命令に従わなかったことが、後日国際上の問題となったら取り返しがつきません。
軍は、あくまでも上官の命令によって動くものだからです。
本当に日本人は真面目すぎます。
こうして河本中尉は、命令を受け入れました。

河本中尉以下の121名は、全員、武装解除のうえ投獄されました。
そして食事もろくに与えてもらえないまま、日本の救援軍に対する防御陣地構築のための土方仕事に駆り出されました。
零下30度の極寒の中で凍てついた大地に土嚢を積み上げ、陣地の構築をしたのです。

陣地構築が終わると、手のひらに太い針金を突き通して、後ろ手に縛られ、凍ったアドミラル河の氷の穴から、生きたまま共産軍によって次々と川に放り込まれて殺されました。

春になって、ようやく旭川第7師団の多門支隊が現地の救援にやってきました。
そこで彼らは、地獄絵図を見ました。
そこは焼け野原と化した尼港には死臭が漂い、
「いったん撤退するが再び来て日本人を征服し尽くす。覚悟せよ」
と記した共産パルチザンの声明書が残されていました。

そしてChineseの妻妾となっていた女性たちの証言から、1月29日から5月24日までの100日余の尼港の模様が明らかになりました。

日本人たちは、生きたまま両目を抉り取られ、
5本の指をバラバラに切り落とされ、死ぬまで何度も刺されていました。
そして金歯があるものは、生きたまま、あごから顔面を切り裂かれて、金歯を抜き取られました。
女は裸にされ凌辱された上で、股を裂かれ、乳房や陰部を抉り取られて殺されました。
獄舎の壁には、血痕、毛のついた皮膚などがこびりついていました。

犠牲となってお亡くなりになった方々に、深く哀悼の意を捧げたいと思います。
そして私たちは決意する必要があります。
二度と日本人を犠牲にさせないと。

この共産パルチザンは、その後、通州事件等でも暗躍し、また先の大戦中も暗躍を続けて残酷な振る舞いを繰り返し、その残党が北朝鮮設立の一翼を担って済州島での虐殺事件を引き起こし、韓国の正規軍がやってくる前に日本に逃れ、以後、日本国内でKorea進駐軍を名乗って日本国内での数々の非合法活動に手を染めています。
歴史はつながっているのです。

お読みいただき、ありがとうございました

========

お心よりご冥福をお祈り致します。

北海道では中国人から土地を買われているそうですね。
今となっては有名です。
全国にもあるでしょうね。
これで私達や子供たちの未来はどうなっていくのでしょうね?

もう二度とこのような凄惨なる虐殺事件が起こりませんように…
起こらない為に今がんばりたいところですね。
まずテレビが流す情報の鵜呑みはやめましょう。

知りたい情報、正確な情報は自ら求め得られる時代となっています。
知ったら何に賛成し何に反対すべきか見えてくるので。

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# by tanaka369 | 2018-05-24 09:38 | 日本の事・日本人の歴史 | Trackback | Comments(0)

竹駒神社・金蛇水神社へ参拝

久しぶりに高速に乗って宮城県岩沼市に鎮座されております「竹駒神社」「金蛇水神社」へ参拝に行ってきました。
私にとってはなかなかもって御縁のある神社です。

高速道路と高速道路付近の公道がちょっとね…
えげつないカーブがあるんだもの。
皆さんったら、とばすとばす!
後続車をミラーで確認するつど、

「さぁっ、お抜きなさいっ」

と独りごちていましたw
ぐぬぬぬ。

最初は竹駒神社へ。

大鳥居の近くにあった狐の焼き物を二対買ったお土産屋さんが無くなっており更地になってました…
現在、可愛がっている「きーちゃん」と「つーちゃん」、「竹ちゃん」と「駒ちゃん」の実家だったのにな…
この子達が壊れたらもう手に入らないのね。
親切なおばさまがいらっしゃったのに、寂しいです。
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さて、お次は金蛇水神社へ。
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例大祭期間という事でとっても賑わっておりました。
駐車場空き待ちで付近の公道は渋滞してましたよ。

例大祭期間ですし、ご祈祷して頂きました。
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初めて直会へ参加しました。
お弁当を頂きましたよ。
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運転疲れはあったものの、素敵な休日となりました!
今回は一人旅。
タロさは居合の大会なので一緒に来れませんでした。
お土産に御守りを求めましたよ。

くたびれたけど充実した一日でした。

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# by tanaka369 | 2018-05-20 20:51 | 神社参拝いろいろ | Trackback | Comments(0)

昭和天皇、昭和の日

皆様はご無沙汰しております。お元気でしたか。
管理人はTwitterやInstagramで元気に投稿させて頂いてます。
是非見てみてね。
ツィッターでは拡散用&たまに個人的な投稿をしています。
インスタは個人用の日記みたいな立ち位置かな。
Facebookはお友達からの情報収集に特化してる感じです。

本日は昭和天皇のご生誕。
日章旗が美しいです…!

昭和天皇陛下は今上陛下と共に敬愛してやみません。
陛下のお心と主に。
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# by tanaka369 | 2018-04-29 18:36 | 日本の事・日本人の歴史 | Trackback | Comments(0)

パール判事 最後の日本講演

Facebookにて見つけましたご投稿を共有。
パール判事は1966年、重い病を患っていたなか来日し講演しました。
そのご様子を記した記事です。

パール判事は東京裁判にてただ一人、日本は無罪である事を貫き通した気骨の方です。
誰にも何ものにも屈せず正義を貫いた司法の鑑の方でした。
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(以下コピペ)

戦後、パール博士は胆石が持病であり、主治医からも、「命にかかわる」と訪日を止められていたのだが、博士は「人生のたそがれどきに、ぜひもう一目だけ、日本を見たい」との強い願いから、無理を承知で我が国の土を踏んだ。


1966年10月3日午後4時40分、細いからだを両脇から支えられた博士は、合掌したまま中央通路を進み、下手から演台に上った。


聴衆が固唾をのみ見守る中、静かな緊張が走った。だが博士は合掌をして深い黙礼を送るだけで、前かがみの姿がかすかに震えている。沈黙の中、苦痛のせいなのか、長身を不器用に折り曲げた黒い影がゆれている。

聴衆は気付いた。強い感動が博士の心をとらえ、そのからだを震わせているのだということを。場内にすすり泣く声が会場に広がり、そんな時間が流れ、やがて「無言の講演」は終わった。

中央通路を通り出口に向かう博士を、観衆は立ち上がって拍手を送った。そして、その殆どは合掌して博士を車まで見送った。無言が人々の心に雄弁に語りかけた数分間であった。

帰りの車中、博士はもらしたという。「胸がいっぱいで、口を開くことができなかった。」ホテルに戻りベッドの上に端座すると、博士はまた長い合掌を続けた。最後の訪日、80歳の出来事であった。


(以上、パール博士の人柄を見る事からも、他の資料より抜粋させて頂きました)


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# by tanaka369 | 2018-03-20 13:07 | 日本の事・日本人の歴史 | Trackback | Comments(0)

心と体の因果関係

面白いね。
メモように投下。






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# by tanaka369 | 2018-03-12 21:06 | 動画いろいろ | Trackback | Comments(0)

2月22日は竹島の日

22日当日は最近色んな意味でハードだったので今日になってしまいました。くっそ。
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(以下コピペ)

【2月22日「竹島の日」】

「竹島の日」は、平成17年(2005年)3月、島根県において、竹島に関する島根県告示100周年を機に、「県民、市町村及び県が一体となって領土権の早期確立を目指した運動を推進」し、「国民世論の啓発を図る」ことを趣旨とした条例が議員提案により制定されました。
竹島は、歴史的事実に照らしても、国際法上も明らかに我が国の領土です。島根県隠岐の島町に所属しています。
本日の式典が素晴らしいものとなること、一日も早い韓国の不法占拠状態の解消を願っています。
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◆島根県条例第36号

竹島の日を定める条例(平成17年3月25日公布・施行)
(趣旨)
第1条県民、市町村及び県が一体となって、竹島の領土権の早期確立を目指した運動を推進し、竹島問題についての国民世論の啓発を図るため、竹島の日を定める。
(竹島の日)
第2条竹島の日は、2月22日とする。
(県の責務)
第3条県は、竹島の日の趣旨にふさわしい取組を推進するため、必要な施策を講ずるよう努めるものとする
附則
この条例は、公布の日から施行する。



◆島根の活動

1島根県としての認識及び基本的な考え

竹島は、歴史的事実に照らしても、国際法上も明らかに我が国の領土です。島根県隠岐の島町に所属しています。
島根県としては、竹島問題は、すぐれて外交上の問題であることから、国に対して、あらゆる機会をとらえて領土権の確立を要望しています。
また、竹島の領土権の早期確立を目指した運動を推進し、竹島問題についての国民世論の啓発を行っています。

2島根県としての具体的な活動

 1.竹島の日を定める条例の制定

平成17年(2005年)3月、竹島に関する島根県告示100周年を機に、「県民、市町村及び県が一体となって領土権の早期確立を目指した運動を推進」し、「国民世論の啓発を図る」ことを趣旨とした県条例が議員提案により制定されました。
島根県条例第36号
竹島の日を定める条例(平成17年3月25日公布・施行)
(趣旨)
第1条県民、市町村及び県が一体となって、竹島の領土権の早期確立を目指した運動を推進し、竹島問題についての国民世論の啓発を図るため、竹島の日を定める。
(竹島の日)
第2条竹島の日は、2月22日とする。
(県の責務)
第3条県は、竹島の日の趣旨にふさわしい取組を推進するため、必要な施策を講ずるよう努めるものとする
附則
この条例は、公布の日から施行する。


 2.竹島の早期領土権確立について、国に対して要望活動を行っています

(1)国への重点要望
(2)全国知事会・中国地方知事会を通して要望
(3)衆参両院国会請願及び本会議採択
平成18年5月31日に竹島・北方領土返還要求運動島根県民会議(PDF141KB)と竹島領土権確立島根県議会議員連盟の連名により27,017名の署名を添えて衆参両院に提出された請願は、平成18年6月16日、本会議で採択され、内閣に送付されました。
●請願書(衆議院(PDF103KB)、参議院(PDF104KB))
(4)その他の組織を通じての要望活動
各種横断的組織を通じて国や上部団体に対し要望活動を行っています。
●全国都道府県議会議長会・中国五県議会議長会

 3.竹島問題研究会を設置し調査研究活動を行いました

竹島問題に関する歴史的な調査・研究などを行うため、平成17年6月に研究会を設置し、次の調査研究成果が出されました。
■中間報告・・・平成18年5月:日韓両国の主張の論点整理
■最終報告・・・平成19年3月:日韓両国の具体的な論争点の検証

 4.竹島資料室の開設

平成19年4月19日に旧県立博物館2階に、竹島資料室がオープンしました。

 5.竹島・北方領土返還要求運動島根県民会議等と連携した啓発活動

(1)県民大会などの啓発事業を実施しています
(2)竹島問題の早期解決を求める東京集会の後援(主催:日本の領土を守るため行動する議員連盟/竹島・北方領土返還要求運動島根県民会議)
(3)啓発資料「竹島かえれ島と海」の作成
(4)竹島問題を考える講座、研修会・パネル展の開催

●竹島・北方領土返還要求運動島根県民会議等と連携した啓発活動の詳細はこちら

6.冊子、パンフレットや県のホームページを活用した啓発活動

(1)竹島広告施設の設置(県内11か所)
(2)広報啓発資料の作成配布
パンフレット、冊子及び竹島PRビデオ・DVDの作成を行い、県内の公共施設などに配布しました。





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# by tanaka369 | 2018-02-23 22:35 | 日本の事・日本人の歴史 | Trackback | Comments(0)

米フォトジャーナリスト・ブラウンさんが観た日本

前回に続き、この記事もとても良かったのでうpしました。
知性溢れるお話しです。素敵だ…!



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# by tanaka369 | 2018-02-22 00:59 | 日本の事・日本人の歴史 | Trackback | Comments(0)

外国人初の神主さん

以前に話題になったオーストリア出身のフローリアンさん。
外国人で初めて神主になった方です。
この方は本当にしっかりとした考えと信仰を持っていて管理人は歓迎しております。
この記事は私のお気に入りです。



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# by tanaka369 | 2018-02-21 23:53 | 日本の事・日本人の歴史 | Trackback | Comments(0)

「やっしょまかしょ」タロさにご馳走したよ・居酒屋バレンタイン

皆様ご無沙汰しております!

管理人ブログやめたんかな…管理人死んだのかな…等々思われましたら
是非Twitterの方を御覧いただければと。
トップページの自己紹介のところにTwitterマーク(ほまれ)をクリック頂ければと思います。
ごめんにゃい…

さてさて。
過日にバレンタインデイがあったわけですが、チョコもいいけどタロさが一番喜ぶのは何だろうか…と思ったところ、やはりうまいもんをご馳走する事だろうなと。
外飲み大好きなタロさです。

週末は山形市七日町にあります「やっしょまかしょ」へ行ってきました!
その料理もとっても美味しいんですよ。
生ビールもこだわりがあり、これまた美味しいの。

私もタロさも大満足!

ではでは。
管理人達が頂いたお料理の一部をうpしますね。

炙りしめ鯖、ハーフサイズ。
目の前でガスバーナーで炙るんですよ。
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お次は馬刺し。山形市山辺町の馬刺しですよ。
うまいんだぁこれが。
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管理人もタロさも大好きノドグロ。
ノドグロの素揚げです。
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お次もエビの素揚げ。
こちらもパリパリで歯ごたえあってタロさ大喜びでした~。
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最後に絶品ソース焼きそば。
具材は牛筋煮込みの具材を使用しており旨味が半端ないのですよ。
「やっしょまかしょ」に来たら必ず注文する料理の一つです。
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また行くぞ~!
お料理もお酒もうまい居酒屋さんには感謝です。
接客も良いので居心地よく癒されました。

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# by tanaka369 | 2018-02-18 23:07 | うまいもんセンサー | Trackback | Comments(0)

今月食べた三大うまいもの発表!

ご無沙汰しています!
皆様お元気ですか。
管理人もタロさも元気ですよ。

管理人はほぼTwitter民なので投稿ねぇなと思われましたらTwitterでも覗いて頂ければと思います。
トップページから行けますので宜しくお願い致します。

さて、今月食べたうまいもの!
なんだかんだ食べたなぁ…

☆タロさが作った「カレーは暴力だ」激辛カレー。
☆肉屋のステーキ屋ワイルドグリルで頂いた400グラムのステーキ。
☆屋台村の魚介系居酒屋で頂いた串刺しノドグロの炭火焼き。

ですね!

ノドグロは高級魚なのですが、お正月の勢いで注文してみました(笑)
うまかったぁ!!
エビも頂きました。柔らかくでジューシーでした!
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日本酒とよく合います!
濁り日本酒で頂きました。
お酒の弱い管理人は少々飲んだだけですが、タロさ大喜び!
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お次は初ステーキ。
「ワイルド グリル」は初来店。
ソースだけでなくお塩をふって頂くのがベターでした。うまかった!
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最後にタロさの暴力カレー!
管理人は甘口カレーが苦手…
元調理師のタロさの作るカレーは旨味やコクのある激辛です。
とってもおいしいんですよ。
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一月の上旬にお金を使い過ぎて後半はお財布がピーピー泣いています(笑)
節約節約…

お金のかかる楽しみはたまに。
だから楽しむ時は思いっきり愉しむんだぁ。

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# by tanaka369 | 2018-01-21 18:13 | うまいもんセンサー | Trackback | Comments(0)

平成30年☆謹賀新年

新年明けましておめでとう御座います!
皆様いかがお過ごしですか。

珍しい事に、管理人はタロさと大晦日と元旦を一緒に過ごす事ができました。
初詣にも行きましたよ。

皆様にとって有意義でご多幸ある一年となりますよう、お祈り申し上げます!
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# by tanaka369 | 2018-01-03 00:31 | その他 | Trackback | Comments(0)

零戦が売り出しされています

飛行可能な零戦が売り出されています。
年間2000万の維持費が重いですね…

「ファンドを立てて維持して」
「三菱は戦争のイメージがあるから買い取りを断った」
等々耳にしています。

本来収まるところへ収まって欲しいです。




=以下はFacebookより転載=
~「報道されない事実」に投稿された関本様のタイムランより~


先月八尾空港にやって来た0戦の動画です。高知、八尾空港、松本、仙台、小牧の順で飛行してきて、次は八尾空港に帰って来ると、仙台の友人から聞き、みにきました。

シークレットらしいですが、100人程のひとがいました。

オーナーが売りに出してるらしく、買い手が国内にいないらしく、このままではアメリカに行くかかもしれません。

三菱が引き取るのが1番とおもいますが、戦争のイメージが悪く引き取らないとか、

貴重な技術遺産だとおもいますが、動体では、世界に4機、国内唯一の一機だそうです。

大阪では、ニュースにもならなかった。


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# by tanaka369 | 2017-12-27 23:39 | 日本の事・日本人の歴史 | Trackback | Comments(0)

ご生誕を祝いました

ちょうど天皇陛下のお誕生日である天長節にタロさんちにお泊りに行きました。
しばらくのんびり二人で過ごしていなかったのでね…
タロさは
「陛下の誕生日お祝いのケーキだよぉん」
とケーキを買ってきてくれました。
ベリーの効いた美味しいケーキでしたよ。
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1月はタロさの誕生月。
プレゼントは決まってるんだぁ。
マット買ってあげた際「これは誕生日プレゼントの前倒しだからね!」なんて言ったけど、やっぱし喜ぶ顔を見たいじゃない。ねぇ?

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# by tanaka369 | 2017-12-25 12:29 | 節子&タロさの日記 | Trackback | Comments(0)

平成29年12月23日今上陛下のお誕生日、天長節です

本日は陛下のお誕生日。
心よりお喜びお祝い申し上げます。



~追記~
天長節の一般参賀の動画がうpされていたので共有したいと思います。

天皇陛下万歳! 皇尊弥栄!


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# by tanaka369 | 2017-12-23 05:35 | 日本の事・日本人の歴史 | Trackback | Comments(0)

忘年会に行ってきました~

日本第一党仙台支部の忘年会に行ってきました。

皆様には役職がついておりまして、出会いは仙台講演会。
私は党員ですが仙台支部に属してないのにお呼ばれ頂きまして光栄に思います。
楽しかったです~!

お料理も美味しかったです。
仙台市の居酒屋はタロさと仙台一泊して居酒屋に行った時以来ですね。

控えめな味付けでもお肉もお野菜も美味!
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お次は馬肉のなめろう。
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〆の炭水化物にはお蕎麦がでましたよ。
細麺と太麵の両方が出ました。
お写真のは細麺の方です。
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お腹いっぱい♪
また呼んでくださいね~と皆さん笑顔でお開きに。

やっぱし仙台市には良さげな居酒屋がいっぱいあるなぁと。
タロさとも行かなきゃ!

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# by tanaka369 | 2017-12-15 03:39 | 日本第一党 | Trackback | Comments(0)

異国の地ドイツにて人々を救うため命をかけ散っていった肥沼信次博士

祖国日本を想いつつも、異国の地で人々に貢献された医師の紹介です。
その名は肥沼信次博士。




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# by tanaka369 | 2017-12-11 00:42 | 日本の事・日本人の歴史 | Trackback | Comments(0)

北朝鮮の自称漁師

日本海沿岸に漂着する北朝鮮の船が話題になっているようですね。
不法入国するんじゃねーよ!

青山繁晴参院議員は天然痘バイオテロを警戒・警告しています。

「北朝鮮が兵器化された天然痘ウイルスを持っているのは国連専門官の中でも常識
 上陸者に一人でも感染者がいたらワクチンを投与されない限り無限に広がる」

ついでに申しますと、天然痘に限ったことではありません。
単なる爆弾より怖いのはウイルスだと指摘している方々のお話しを以前より聞いており戦慄するのですが、ご指摘の通りです。

化学兵器の時代ですからね。
生物化学兵器の時代ですからね。

ここでは明記しませんが「然るべき対応」が必要です。
かわいそうだの何だの綺麗事言ってるスキにどうなることやら。
事が起こってからでは遅いのです。
脳内お花畑は一人で死んでいけばいいけど、巻き添えくらうのは嫌です。

また木造船が漂着した位置と、工作員上陸ポイントが一致しています。
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調査は正しかったんですね。
ここまで調べられるのならば事前に対処できそうなものです。

のほほんと過ごせる時代はとうに終わっているのです。

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# by tanaka369 | 2017-12-04 23:31 | ニュース色々 | Trackback | Comments(0)

目に見えぬ、身近な存在

珍しくも動画のご紹介。
スピリチュアル系なので胡散臭く思う人もいるでしょう。

でもね、為になるなぁと。
何の為かと言えば、自分の為です。生きる上での。

生まれてきた以上、本来ならば誰からも何ものからも支配されない主体性をもって生きているのが人間です。
私達には自由意志が厳然と宿っているのです。
自由意志がないという状況は自由意志を自ら放棄した心境であります。

心が病んでしまったり、立場的な状況などなど、そうもいかない場合もあるでしょう。

でもね、明確な意志があれば、諦めず精一杯生きていれば(最悪結果は問わない…)それは私達の糧になるのですよ。心一つで、心次第で善悪・清濁諸々に全てを糧にできるが叡智が私達には宿っています。




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# by tanaka369 | 2017-11-13 02:46 | 動画いろいろ | Trackback | Comments(0)

息災を祈る

ウヨウヨしている暇もない管理人です…
皆様ご機嫌如何でしょうか。

たぶんタロさも死にそうになりながら元気に働いていると思います。
なぜなら、あいつはいつも事後報告なんだもん!

悪運の強さだけで生きているような男です。はい。

私もかな?
私は一番あり得るのが出勤帰宅の道中の交通事故が懸念材料。
ヒヤッとするシーンもありましたもので。
でも今のところ無事!

どなたか知らねども、陰なる方々のご加護に対し心より感謝致します。
もちろん生きている人々にもお世話になっております故、人とはやはり一人では生きているのではないのだという思いを再認識する次第です。

うっかりすると気づけぬ有難さに涙こぼるる。そんな夜勤明け。
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# by tanaka369 | 2017-11-09 13:15 | 管理人の戯言 | Trackback | Comments(0)

山形市民のラーメン愛

当ブログにご訪問の皆様、ご機嫌いかがでしょうか。
立冬を目の前に控えた晩秋。
くれぐれもご自愛くださいませ。
健康な心身は財産です。

さてさて。
久しぶりにタロさと居酒屋に行ってごっつぉを頂いて来ました!
のんびり休日を過ごさせて頂きました。
明日の日曜は仕事だけどな……チッ。

飲んだ翌日のお昼はラーメンを頂いてきましたよ。
山形はラーメンがおいしくて。
おいしくて山形市にとけるラーメンにつぎ込むお金が全国で一番になったとか。
山形は人口の割に外食産業が盛んなのです。

山形市の「山之介 宮町店」でラーメンを頂いてきました。
魚だし白湯麺、うま~!
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しばらく食べて、残り半分になったらテーブルに置いてあった辛味噌を投入!
うま~!
合いますね。
管理人は辛いのも好きです。

山形にいらしたら是非お蕎麦とラーメンを召し上がってみてくださいませ♪

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# by tanaka369 | 2017-11-04 23:13 | うまいもんセンサー | Trackback | Comments(0)

遠出運転デス☆ドライブ「熊野大社」へ!

皆様ご無沙汰しております。
いやいや、いつも無沙汰者ですいません…

さて。
今日は東北の伊勢と呼ばれる山形県南陽市宮内におわします「熊野大社」へ一人で参拝して来ました。

いやいやいや、道中がえげつない。
山道のウネウネ道が。
そのくせ煽られましてね。
何台かに追い越しされましたよ……遅くてすいません。
法定速度より+α早めだったのですがね。
も~嫌!

遠回りでも二度と通らないと誓った道中でした。
タロさ運転の助手席だったらいいとして。

熊野大社はいつも通り、美しかったです。
清い境内。
厳かな拝殿。
全てが美しい。
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境内の紅葉はまだみたい。
次はタロさと行きたいな。
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ちょうど南陽市の菊まつりをしており、境内には至る所に菊が飾っておりました。
こうして見ると、菊って華やかな花なんですね~!
とっても綺麗!
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ウサギを形どった菊のオブジェもありましたよ。
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まん丸wwwww
かわいいですね。

次回はタロさと行こうっと。
くたびってかなわね。(標準語訳:疲れて仕方がない)

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# by tanaka369 | 2017-10-26 17:13 | 神社参拝いろいろ | Trackback | Comments(0)

タロさと魚介系居酒屋外飲み「北野水産」・白菜ラーメン「幸来」

お肉が大好きな管理人とタロさ。
新鮮で美味しい魚貝類も大好きなのですよ。

今回「活イカ」を初めて頂きました!
ゲソの部分は天ぷらで頂きましたよ。
沿岸部でないと食べられないだろうなと思っていたのでラッキーでした。
お醬油に付けるとくね~っと曲がるのね。
目に見る間に鮮度が落ちていくのがわかるのが凄い。
タロさと二人、無言でパクパク頂きました!
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他のお刺身も美味しかったです!
お造り頼めば良かったな~。
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カリカリのえび。もうビールがすすむすすむ。頭から尻尾まで美味!
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冒険して、チーズ入りのお寿司も頂きました。うん、普通かな!
お写真にあるサワーと日本酒なのですが、これらは絶品ですよ!
日本酒は「闇鳴秋水」という銘柄です。
とても飲み口良かったです。
自宅で飲んだらうっかりスイスイ飲んでしまいトイレに立とうとして転倒するんじゃないかと思うのだけど自宅だから飲んじゃえと結局グビグビ飲んで一本空けてしまうだろうなと思うくらい美味しい日本酒でした!
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旬であるアケビの郷土料理。
タロさも私も懐かしいよねと頂きました。
昔ばーちゃんが作ってくれた思い出のお品です。
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新鮮で美味しい魚介系の居酒屋の外飲みも良いですね。
また行きたいと思います!



飲んだ翌日は二人して寝坊。
二人にしては遅めのお昼にラーメンを頂いてきました。

山形市南原にあります「幸来」。
白菜ラーメンを頂いてきました!
うまいーっ!

野菜とあさりの旨味が胃袋を鷲掴み。食べ終わっても熱々のスープ。
白コショウが合うと思います。
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来週はタロさで宅飲みの予定です。
管理人の仕事の都合が良ければですが…

お気に入りのDVD観ながらのんびりしたいですなぁ。



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# by tanaka369 | 2017-10-15 21:46 | うまいもんセンサー | Trackback | Comments(0)

9月は神社巡りの…(3)いやいやお寺様にも行って参りました ~慈恩寺~

彼岸花の美しい頃、以前から気になっていた山形県寒河江市におわします「慈恩寺」へお参りに行きました。
一言でいうと、素晴らしい寺院でした!

何度かお参りしないと慈恩寺の奥深さは伺いしれない奥深さがあると思います。

参拝後、早速タロさに報告電話をした際、

「タロさ、慈恩寺(じおんじ)に行ってきたよ。ジークジオン! ジークジオン!」

と言ったら、タロさってば冷静に「そのジオンじゃないから」とマジレス。
味気ないわ~。私達、ガンダム百年戦争世代なのに(笑)
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以前、朝鮮系の宗教団体に油まかれた慈恩寺。本当に頭にきますよ。
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鐘もついてきました。
案内してくださったおじさんによると、あまりに歴史的価値があったからという理由で、戦時中は軍に取られなかったようです。
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出来得る限り心を静めて、祈りを込めてついてきました。

境内はとても厳かで美しかったです。
平日の為かあまり人はいらっしゃらなかったですね。
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先述しましたが、彼岸花が盛りでした。
一面に生えていた彼岸花は圧巻でしたよ。
お写真ではそれらの一部を撮って参りました。
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また行かなきゃ。
古の寺院、慈恩寺。ご機会があったら皆様も是非拝観してみてくださいね。




慈恩寺 公式HP
http://www.honzan-jionji.jp/






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# by tanaka369 | 2017-10-04 21:32 | 管理人のおでかけ | Trackback | Comments(0)

9月は神社巡りの月でした(2)高速道路デビュー(笑)・竹駒神社&金蛇水神社参拝

長らくペーパードライバーだった管理人。
ペーパーを卒業して1年以上経った今、満を持して山形~宮城県(村田インター)を一人で高速道理を走ってきました。
仮免で高速講習以来かな!

追い越し車線にうっかり出た時は小豆大の後続車がすぐ後ろに来て煽られたり、比較的ゆっくり走る中型小型のトラックの後ろを付いて行ったりして無事でしたよ。

あー怖かった♪
また走りたいです。

村田インターから岩沼市へ行き、竹駒神社と金蛇水神社へ参拝してきました。
各神社で引いたおみくじがもう……後述しますね。
ホテルに一泊なのでのんびりゆったりと過ごしてきましたよ。

お写真は宮城県岩沼市に鎮座する竹駒神社、拝殿です。

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大きな白い狐様もいらっしゃいます。かわいい♪
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実は竹駒神社は、極左キチガイ集団の中核派により放火されています。
私には理解できません。

奥の院ではその当時のお狐様がいらっしゃいます。
焦げたあとのような、煙にやられたあとのような痛々しい部位があり心を痛めました。
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竹駒様のおみくじには

「人が神に祈願し叶えば心の底から喜び感謝するが、喉元過ぎれば感謝を忘れてしまう。
 神が人を可愛いと思う心は変わらぬが人の心は変わりやすいもの。
 感謝を忘れぬように」

とありました。
ドキッ…
高速デビューするので地元の神社に道中の無事を祈願して出発したのです。
地元に帰ったらお礼参りをしようと固く決心したのでした!

次に金蛇水神社へ参拝しました。
相変わらず美しい鳥居です。
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境内の中。ずっと佇んでいたい気持ちになります。
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蛇石にもヾ(・ω・*)なでなでしてきました。
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金蛇水神社でもおみくじを引いてきました。

「旅行:大切な人と行かれては。癒されます」

とありました。
ドキッ…
いつもタロさと一緒に参拝していましたし、また一緒にいらっしゃいと言われたような気がしました。

今回は一人だからか何となくもの寂しい感じがしていて、何でかなと思ってまして。
やっぱりタロさがいないと何かが欠けているような気がするのだと思い至っておりまして。

これ全部、神々にはお見通しだったのですね。
いつかタロさと一泊でもいいからのんびり旅行がしたいです。

一泊した翌朝には再び竹駒神社・金蛇水神社へ参拝し山形へ帰りました。
もちろん、祈願先の地元の神社へもお礼参りをしました。

皆様のお住まいのご地域でも、古よりそっと人々を見守っておられた神々がおられると思います。
どうか心をとめてみてくださいね☆

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# by tanaka369 | 2017-10-02 00:13 | 神社参拝いろいろ | Trackback | Comments(0)

神社めぐりの9月でした!(1)寒河江まつり・寒河江八幡宮流鏑馬奉納

皆様、大変ご無沙汰しております!
管理人もタロさも元気です。
皆様は風邪などひいていませんか。
どうかご自愛くださいませ。

9月は年に一度の一週間の長期休暇もあり、寒河江まつり・寒河江八幡宮の流鏑馬奉納を観に行ったり、谷地八幡宮の神事を観たり、宮城県岩沼市の竹駒神社様や金蛇水神社様へ参拝したり、寒河江市の慈恩寺へ拝観に行ったり。

とても有意義な休暇となりましたが、タロさとは休みが合わず会えなかったのが残念…

まずは!
寒河江まつりの「流鏑馬(やぶさめ)奉納!
管理人は「古式流鏑馬」を観てきました。

超かっこよかった~!!
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来年も観に行きたいなぁ。是非皆様も御覧になってみてください。



参考サイト:【山形の宝 検索navi】様よりコピペ
http://www.pref.yamagata.jp/cgi-bin/yamagata-takara/?m=detail&id=1582


寒河江八幡宮流鏑馬

県指定文化財 無形民俗文化財

9月14、15日の2日間にわたり、寒河江八幡宮例大祭に合わせて神社境内において、2種類の流鏑馬がおこなわれる。
1つは古式流鏑馬である。3頭の馬に乗った射手が、長さ150mの馬場の途中に立てられた3本の的をめがけて、全力疾走する馬上から矢を放ち、これを3回繰り返して弓矢の的中率で優劣を競うものである。
もう1つは作試し流鏑馬である。馬の速い順番に「一の馬」(早稲)、「二の馬」(中稲)、「三の馬」(晩稲)と決めておいて、3頭を一斉に走らせて翌年の作柄を占うものである。
この流鏑馬は、俗に「馬走り」といわれている。全国でも寒河江八幡宮にだけ残る行事となっている。




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# by tanaka369 | 2017-09-29 22:56 | 神社参拝いろいろ | Trackback | Comments(0)



ネットの大海の片隅でひっそりと生息しています
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